M-1グランプリを語る

こんにちは。

 

そろそろM-1グランプリの動向が気になる季節になってきました。

まとまってはいないのですが、M-1グランプリについて思っていることを言語化してみたいと思いこの場を借りて色々書かせていただきます。

それではよろしくお願いいたします。

 

・一大テレビショーと化したM-1グランプリ

M-1グランプリは表向きは「若手漫才師日本一決定戦」ですが、裏テーマとして「未来のスター発掘」という側面はあると思っています。

例えば優勝しなかったコンビの中でもオードリー、南海キャンディーズ麒麟、トム・ブラウンetc…などはその後のテレビキャリアで大ブレイクしたと言えるでしょう。

これは、「漫才」として面白いかどうかを測る以前に「タレント」、「TVスター」の新たな発掘という側面があるからです。

とりあえず「面白い奴」っていう箔をつけてその箔をもってしてTVで売り出しまくる、そんな構図だと思います。

 

・決勝に残ることのデメリット

ただ、決勝に残ることによるデメリットも全くないわけではありません。

それは、お茶の間に「面白くないコンビ」とレッテルを貼られてしまう可能性があることです。

そもそもM-1の決勝まで残るということは凄いことなのですが、とはいえお茶の間の大半の方が見るのは決勝のみ、よくて敗者復活くらいでしょう。

そうなるとトップオブトップの10人が集まるわけで、相対的に劣るコンビが出てきてしまうのはこれはもう致し方のないことです。

本来であればウン千人の中の10位や9位なのでとてつもなく凄いことですが、お茶の間は10人中の10位や9位としか見てくれません。

これは当然芸人が悪いわけでもなく、かといってお茶の間に責任もありません。

せめて受け答えで爪痕を残せていたり、ネタがやや王道じゃないけど面白いネタならバラエティで使われることもあるのでしょうが、ある程度しっかり目のネタでハネきらずに受け答えでも爪痕を残せなければ、決勝に残ったことにより、必要以上に「面白くないコンビ」と過小評価されてしまう可能性があります。

また、漫才はその場の流れや空気感でウケの量もそれなりに左右されることもありますので、場合によっては準決勝や準々決勝で敗退したコンビよりもアベレージは低いけど爆発力と巡りあわせで突破してしまうコンビ、もっと言うと本来であれば決勝に残ることが妥当じゃなかったのかもしれないコンビが決勝まで残ってしまい、場違いになってしまうこともあります。

そういう時のどうあがいても力が及ばない感は見ていてとてもしんどいものがあります。

 

・審査員も主役

M-1はとかく審査についての議論が絶えません。

実際審査員も主役の一部くらいに扱われているフシはあります。

実際あの審査員はああだこうだ、などと議論をするのもある種楽しみの一つではあったりします。

 

少し話は飛躍しますが、M-1グランプリという大会が、ストイックに「漫才の腕」のみで判断する大会であればプロで漫才をした経験のない人は審査員をすべきではないと思っています。

漫才をしたことがない人間が漫才の良し悪しを図るのは限界があるでしょう。

ですが、今のM-1グランプリは「スター発掘」の色が強く、面白い奴が正義なバトルロイヤル状態なので、漫才経験のない志らく氏や山田邦子氏などが審査員をやることに私は特段の違和感はありません。

志らく氏も山田氏も漫才の良し悪しはともかくとして、何が面白くて何が面白くないかの感覚は確立したものを持っているでしょう。

とはいえそういった非漫才系の審査員ばかりでは漫才の意味が薄れてしまうので残りの5名は漫才に強い審査員となります。

 

そんな審査員の採点ですが、昨年は山田邦子氏がトップバッターのカベポスターに84点という近年のM-1では稀にみる低得点をつけてざわつきましたが、カベポスターが多少割を食っただけで他の芸人の採点が無茶苦茶ということは無かったように記憶しています。*1

 

また、志らく氏は基本的にぶっ飛んだネタを高評価する傾向にあり、これは恐らく氏が「予想だにしない角度からの笑い」を重視しているのだと思います。

既に審査員を退きましたが、オール巨人師匠の評価基準は「しゃべくり漫才を高く評価しており、あとはネタの質を重視している」ように感じましたし、過去ご本人がそれに近しいことを語っていたように記憶しています。

審査員ごとの色はもっと強くあってもいいかもしれない、と思っています。

 

・見る側の流儀

よくM-1は「ニワカお笑い評論家たち」を生み出すと揶揄されます。

まあ実際そうだと思います。

ただ、それも含めて楽しみ方の一つなのかなとは思います。

「〇〇は90点」とか「△△は92点」とか…

その人それぞれに評価基準があり、そういったものを共有して楽しむ、そんなお笑いの大会はM-1だけだと思います。

KOCやR-1、The SECOND、THE Wなどのその他賞レースではそこまでの浸透はしていないでしょう。

そういう意味ではもうすでに国民的行事の1つといえるのかもしれません。

笑いのツボ、好きなネタはそれぞれです。

流麗なしゃべくり漫才こそ志向という方も、工夫を凝らしたギミック漫才に美を見出す方も、不条理でおかしなネタが好きな方も、とりあえず一番笑えたらそれが良いという方も…

言ってしまえば不正解はありません。

ただ「自分ってこんなタイプの笑いが好きなんだ」とM-1を通じて認知できるとこれからのお笑いライフ楽しくなるんじゃないかなとちょっと思っています。

 

・敗者復活の意義

よく言われるのが

「敗者復活は人気投票になりすぎているのではないか」という批判です。

確かに直近で見ても22年は決勝常連のオズワルド、21年は漫才師というよりもはやタレントとして知名度を得ていたハライチが勝ち上がったり、勝ち上がり切れなかったとはいえ人気と知名度のあるミキが高い順位にいたりと、純粋な実力以外のところを見られているようには感じます。

ただ、それこそ敗者復活の意義なのかな、と私は思っています。

別に従来の審査と同じ判定基準で審査員が裏で審査して一人決めるのなら、そもそも敗者復活などせずに最初から10人選んでおけばいいのです。

それこそ敗者復活なんてやるのが時間の無駄。

少しのスパイスじゃないですが、大会の中での審査に沿った9人+それ以外の魅力を認められた1人という構図はそんなに悪くないのかなと思います。*2

人気投票というなら、それまで培ってきた努力や実績が人気として表れているのも事実です。

また22年令和ロマン、21年金属バット、男性ブランコのように決して世間的知名度が高いとはいいがたかった組がネタの質だけで人気者を喰わんとしていたのは個人的にアツかったです。

もっというと人気投票だからこそ、「割り切った」ネタをして違う意味で注目を集める組もあります。

22年ダンビラムーチョ、21年さや香はいまだに覚えている方も多いと思います。

もしそうじゃないなら大変失礼なことを申し上げるのですが、2組とも本気で勝ち上がることより、敗者復活という場そのものをフリにして爪痕を残そうとしているように見受けられました。

これも敗者復活が今の在り方であるが故のいい意味での副産物なのかもしれないと私は思っています。

ただし、1点だけ「時間のルールを破った場合のペナルティがない」のだけは少しモヤモヤします。

ここも審査員がいれば減点対象となるのでしょうがいかんせん視聴者投票のため、時間オーバーを認めてしまうと無法地帯になりかねないためそこは得票数の調整などのテコ入れはあってもいいかもしれません。

 

・レベルのインフレ

最近のM-1はレベルがインフレしています。

前年ファイナリストの男性ブランコ、ヨネダ2000、キュウ、ダイヤモンドもそろって準々決勝で敗退しました。*3

それ以外にも決勝経験者で言えば最終決戦まで残ったことのあるインディアンスや滑り大魔神でネットをざわつかせたアキナ、M-1に全てをささげている川瀬名人のいるゆにばーすなどなど…

準々決勝敗退した中から9組ピックアップして「彼らが今年の決勝9組」といっても疑う人はいないでしょう。

もっと言うと3回戦敗退に終わった組の中でも面白い芸人は少なからずいます。

例えば彗星チークダンスはよしもと所属の若手男女コンビですが、漫才劇場でも常に笑いを取っており、3回戦ネタもかなり面白かったので敗退を知った時は「これで敗退するのか…」とかなり驚きました。

スポーツではよく「レベルは年々上がり続けている」と言いますが、お笑いも全く同じようになってきています。

 

・大会側にテコ入れを

そんなM-1ですがどうしたって1つ気になる、気にならざるを得ないポイントがあります。

それは「トップバッター問題」です。

圧倒的に不利、基準という口実で不当に点数を減らされる、なんなら暖まり切っていない空気を暖める役すらしないと行けなくなります。

ちょっとあまりに運要素が強すぎますし、例えば前年準優勝のさや香は「もしトップバッターだったら『からあげ4』*4で大会ごとぶっ壊そうと思っていた」そうです。*5

ここまでハードな大会を勝ち上がってきた素晴らしい芸人たちが、出順ひとつのちょっとした運で左右されてしまうのは個人的には納得していないですし、なによりそこを問題視してテコ入れしてほしいところです。

個人的な対案としては敗者復活組を絶対にトップバッターに据えて、必ず敗者復活組からスタートすることです。*6

 

・漫才師たちに花束を

今年、何度も劇場でお笑いを見に行って

「面白い芸人はまだまだ山のようにいる」と実感しました。

そんな面白い人たちの更に一握りが選別されてあの舞台に立つ

そしてそんなシビアな世界を戦い抜く

とんでもない仕事だな、と感じます。

なるほどキャリアの長い芸人が「賞レースから解放された」という表現を使う意味を感じ取れました。

もちろん流れや運、本人たちの実力を出せたか出せないか、というのもありますが多分私個人としては今まで見てきたM-1の中で一番暖かな気持ちとリスペクトのまなざしで全芸人を見ることになりそうです。

*1:恐らく山田氏自体が初仕事ということもあり様子見のつもりで気持ち低めに採点したのだと思います。ただ反響がありすぎて日和ったのか次以降の採点がほかの審査員と同じ基準になってしまったのはちょっと残念でした。幸か不幸か山田氏が満点だったとしてカベポスターは決勝進出はならなかったわけですが

*2:もちろん準決勝までの審査員が優秀であることが前提なので簡単に言えることではないのですけども

*3:とはいえダイヤモンドに限って言えば2022年を除けば準々決勝敗退が続いていたので、むしろ昨年が上振れしすぎたのかもしれませんが

*4:ひたすら「か!ら!あ!げ!」を連呼するネタ

*5:去年のさや香の1本目は芸術的で素晴らしかったですが、それでも『からあげ4』で大会ごとぶっ壊す世界線も見てみたかったです。

*6:一度負けているからこそ多少不利でも仕方ないというところもありますし、くじで誰がなるか分からないよりは公平ではないですかね?